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vol.003 北海道の秋味
 先週(2009年10月16〜18日)に,来年度から新たな調査地となる場所の下見調査をしに,北海道へ渡った。2泊3日の強行スケジュールだったために,私の期待していた「北海道の味」を心おきなく楽しむことはできず,若干の心残りがある。
 私は,両親が北海道出身ということもあって,親戚が北海道中にいるような感じで,赤ん坊の頃からかなりの頻度で北海道を訪れている。そして,そのような過程を経て,小さい時から慣れ親しんだ私の「北海道の味」というものが,確立されているのである。

 この「北海道の味」のうち,私の好きな魚介類で,この秋に外せないのは何と言ってもシシャモである。

 シシャモは世界の中でも北海道のオホーツク海沿岸と太平洋岸の一部でしか漁獲されない日本固有種であり,稀少種でもある。実際,北海道のレッドリストにも日高以西の個体群は絶滅の恐れのある地域個体群として指定されている。
 日高以西といえば,シシャモの有名な産地である鵡川を包含する。この漁業と持続可能性をどう両立させるのかは,シシャモを食べる人間にとっても重要なことで,考える必要がある。

 シシャモの話が上がったら,よく同時にカラフトシシャモ(カペリン,キャペリンとも呼ばれる)の話も上る。分類的には目は一緒だけど科は違うので,シシャモとはまぁ別物と考えるべきではあるが,シシャモの代用種として,すなわちシシャモの資源へのダメージを軽減させている身代わりになってくれている種である。
 これはこれで,また問題があるのだが,ここではその保全を議論する場としようとしているのではなく,飽くまでその味について語りたいので深入りは止しておこう。


 シシャモといえば,足が速い(腐りやすい)ので,一夜干したものを焼いて食べるのが一般的。

 しかし,「将太の寿司」の愛読者の皆さんはご存知かもしれないが,このシシャモが採れる世界でもごく僅かな地域においてのみ,寿司で食べることができる。


 長年,私はシシャモは焼いたものしか食したことがなかったので,シシャモの寿司には強烈な憧れを抱いていた。
 それを実現することができたのが,2007年10月11日。
 それは日本魚類学会の年会に出席したついでに,北海道を軽自動車で独り気ままに回って釣りを楽しむという,遅めの夏休みを画策したときのこと。

 私は,静内で一泊することを決め,夜に静内の名店である「天政」に寄った。
 メニューにその字はなかったものの,頼めばシシャモの寿司を握ってくれるというのである!!

 しかし,一貫の値段がわからない……。
 干したシシャモの値段の相場から価格を想像し,三貫注文した。ついでに,寿司好きには怒られそうだが,生ビールも注文した。


 それが……これだ!!!!



 この味は,今でもハッキリと脳裏と舌に残っている。
 キュウリウオ科魚類といえば,キュウリウオやワカサギ,学者によってはアユも含め,その香りと切っても切り離せないような人間好みの魚が多い。これらの魚たちの香りは一種独特で,お互いがそれぞれ異なりながらも同系統に属すような,まとまりがある。
 シシャモも焼いて食べるとそれなりにその香りがわかるであろうが,生だとその香りが焼くことによって変化していることに気づくことが出来る。
 あの,強烈で爽快な匂いは言葉で説明できるものではない。食べた人のみが共有できる,一種の快楽といえよう。

 まさにこれほどまでに強烈な香りを魚で味わったことがあろうか?
 ビールを飲んだにも関わらず,一時間も口の中に残り香が漂い,私の「北海道の味」として最早不動の地位を確立した衝撃であった。


 翌日。叔母の宅へ戻る帰路。往路で気になっていた店で昼食をとった。

 私の気になったそのメニューとは……シシャモ蕎麦!!!!



 なんという豪快な蕎麦であろうか。
 シシャモの佃煮が2尾,丸ごと蕎麦に入っている……。

 結論から言おう。佃煮と蕎麦は確かに絶妙なバランスの美味を提供した。
 しかし,シシャモの香りが失われてしまっているため,シシャモの香りを楽しむことはできない。
 これは見た目で食べるものだろう。そう。料理は匂いだけでなく見た目もまた美味を提供する。

 そういう一例だったように個人的には思う。


 さらにその翌日(2007年10月13日)。私は積丹半島で釣りをし,宿を小樽に取った。

 夕食の第一発目は,「北海道の味」の一員である「なると」というお店の名物である若鶏。これに生ビールでほろ酔いとなり,夜道を独りながらも楽しく散策することができるようになる。

 そう,二件目は「将太の寿司」の将太君の出身地でもある小樽で,やはり寿司屋は外せない!!!
 そういう魂胆で,どの寿司屋に入るか,悩みに悩んで一時間ほど小樽を歩き回った。

 そして,ようやく入ったのが「旭寿司」である。

 地物の魚を食べなければ意味が無い!!!

 ということで……



 ここで私は一つの冒険をしている。
 それは,完全に時価&値段聞かずに注文したのである!!!

 これは当時,学部4年生であった私には未知の領域であった。回らない寿司屋へもろくに足を踏み入れたことのない,この私がである!!!


 さて,この一番左端。これは鮭児である。



 鮭児とは,普通のサケ10,000匹に対し1匹しか獲れないとまで言われるような,所謂「幻のサケ」として時知不と同様に珍重されてるサケである。

 この鮭児は,ロシアやアラスカなどの日本外の河川を母川とする個体群のサケで,回遊の最中に日本近海へやってきたものがたまたま漁獲されたものとされている。

 これが……もはや単なる美味を通り越している。

 初めて食べるこの鮭児。もう10倍の時間,口の中に残っていて欲しかったのに,美味ほど一瞬で溶けてなくなってしまう。

 これほどの一般的な超美味は,このブログで最早紹介するまでもないほどに,多くの美食家たちが様々な語彙を並べて必死に伝えようとしている。私の出る幕ではない。

 次に……この二貫。



 これはハッカク(標準和名はトクビレ)である。

 脂がとても乗っているにも関わらず,何故かあっさりした白身。そして心地よいプリプリ感。
 最高にプルプルした白身の刺身といえば,私の経験上ではホウボウに勝るものはないのだが,そこまでではないものの,それがまた本当に調度良い按配の弾力性なのである。
 まさに極上の白身魚

 トクビレは北日本の魚で,特に北海道では秋から冬にかけて安定した流通がある。
 普通は鍋物にしてしまうのであるが,やはり生で食べられるのはその土地でなければならない。


 そして最後の二貫はトロサンマである。

 

 これは,某SNSで興奮冷めやらぬうちに書いたものをそのまま引用して,この感動を伝えたいと思う。


> 脂の乗り具合も、想像を遥かに上回りました。ここまで、ここまで脂が乗る魚だったなんて、サンマは大量に出回っているのに、たくさん食べてきたのに、それを知らずに生きて来たのが悔やまれます。



 ちなみに,会計は五貫で¥2,520だった。
 これは,シシャモの寿司(三貫)の約4倍のお値段である(シシャモは一貫¥210デシタ)。

 やっぱり鮭児に手を伸ばしたのがいけなかったか!!!?

 と,少し衝撃を受けつつも,満足な北海道の魚を堪能した2007年の秋であった。

 2009年の秋にも,調査予定地にてそれなりの美味と出会えはしたが,心残りになってしまうのも,この経験を以っては致し方あるまい。

 来年度から本格的に調査が始まるに伴って,「北海道の味」がますます増えることを期待したい。

vol.002 戻りガツオ
日本の秋。

夏の終焉と冬の訪れを繋ぐ季節。

「ちいさい秋 みつけた」
この歌曲を聞いた者は誰しもが哀愁を感じるに違いないと思うのだが,如実にこの夏と冬を紡ぐ季節を表していると思う。

そしてこの歌曲自体が実に日本的な曲調と歌詞で,今の「物質的にだけ豊かな」生活を享受している日本人には想像がつかない,昔の,農耕で自然と巧くおりなすように生活していた日本人が,おそらく感じていたであろう秋の訪れの物悲しさが伝わってくる。


一方,日本の水辺の秋。
日本人と特に馴染みの深い魚に2種がいる。

3年の大回遊を終えたサケが,大群で戻ってきて母川回帰を果たす。
内陸部に住んでいる農耕民にとっての貴重なタンパク源。

新巻鮭や塩鮭という保存食は,昔の厳しい冬を乗り越えるためには欠かせない食文化から生まれたものだった。


春に北上を始めたカツオが,再び南下してくる。
初鰹と戻り鰹。春と秋に二回,カツオは重宝される。

カツオが刺身やタタキで食べられるようになったのは,歴史が浅い。
カツオは,かつて鰹節という保存食として,重宝された。


現代の秋。
戻りカツオが出回る季節を迎えた2009年9月19日。

珍しいカツオと出会った。

中骨やスジだらけに身がまとわりついた,中落ちの部分。
ちなみに,これで100円である。



見てくれは悪く,どう食べるものか……という感じもするだろう。



これを,箸でつまんで……

そのまましゃぶりつくのである!!!





……ぷっはぁあああああああ!!!!

カツオと思えない濃厚な脂!!!!


これは……中トロ以上のレベルに達している!!!!


スジと骨は確かに邪魔であるが,その周りについている身だけを吸い取るのだ。


これが残骸である。




食べ方は正に豪快。
小洒落たグルメ料理しか食べない人間には味わえない究極の美味。

つまり,これぞ知る人ぞ知る,カツオの珍味
真のグルメは食べ方や値段に惑わされないものなのだ!!


この戻りガツオの季節の,ほんの一瞬の期間。
そして“わかっている”魚屋でなければ置いていない。


捨てられるような隅から隅まで,美味として秋を感じることこそ,季節と自然を重宝する心にも繋がる気がする。

かつての日本人が築いていたような自然共生型社会こそが和の心であるのだから,現代の和食が目指すべきヒントがここに凝縮されているようにも思えてくる。

vol.002 魚を用いた環境教育 in 京浜運河
 私は浪人生の頃に「生物多様性保全」という考え方に出会い,これほどまでに的を得ている概念が世の中に存在したことに大変感動した。そして,この概念との出会いが私の人生の柱を形成することとなったと言っても過言ではないほどに大きな影響を受けている。
 大学に入学して間もなく,私は自身の夢や学生生活の抱負を書く機会に2度恵まれ,それぞれ東京海洋大学の機関紙である「拓海」と,海洋政策文化学科の入学希望者用の案内パンフレットに掲載された。どちらも同じような内容であるが,下記に拙文を転載したい。

「拓海 vol.2」
 私には夢が二つある。一つは魚の研究者になることであり,もう一つはライター,ジャーナリスト,TVの出演などを通す自然環境に対する啓蒙活動家になることである。
 また,昨年から私は「神奈川県立生命の星・地球博物館」で魚類ボランティアをしており,魚類分類学や生物地理学などを余暇を利用して研究したり研究の手伝いをしている。
 東京海洋大学に入学し,私はスタート地点に立ったといえる。環境教育に関する分野を学ぶこと,特に生物多様性の考えを重視したいと思う私には,その本質を学ぶことが必要だ。私が自然に興味を抱いたのは魚を通してであり,図鑑の存在が大きかった。生物多様性そのものを示す分類学などの知見を博物館のみならず,大学でも更新し,啓蒙活動とも繋がる魚類図鑑の制作もしてみたい。
 これらの夢を達成すべく,必要となる知識や経験などを積む上で,最も重要な場として活用していきたい。

「海洋政策文化学科案内パンフレット」
 私には将来やりたいことが大きく分けて二つあります。一つは生物多様性を保全するため,積極的にメディア等を通して環境教育の啓発を行うこと。もう一つは実際に自ら分類学や生物地理学を通し,生物多様性に関する研究を行っていくことです。海洋政策文化学科では,そのうち前者について,どのような政策や法制度の整備が望まれるのかを学びたい。また,他学科の開講科目や博物館でのボランティア等を活用して後者についての知見を得たいと考えています。これら二つの夢の要素を一つに凝縮したような魚類の図鑑も制作したいので,そのために必要な知識と経験を身につけていきたいと思います。

 今,思い返してみると,かなりの自身の初志貫徹っぷりに自分のことながら驚かされるが,私は卒業論文で水圏環境教育を取り扱うことに3年次の時に悩みに悩んで決定した。
 実のところ,私は1年次の12月から結果的に4年次の11月まで,他学科の魚類学研究室にお世話になりながら自身で魚類の定量的な調査を毎月2回ずつ定点で行っており[1][2],これをまとめるかどうかで悩んでいたのが一点。もう一点は,沿岸域資源論という工藤貴史先生の研究室で,魚と人との関わりを漁業・遊漁・水産経済などの視点から考えていく方向性。この3つの選択肢を自身で挙げて悩んでいた。

 環境教育の研究室に決定したのは,上記の魚類の定点かつ定量調査の成果を利用できること,やはり社会学系の論文を一本でもいいから書いてみたかったことの二点が特に大きく利いたと思う。というわけで,私は京浜運河で魚類を用いた環境教育を行うことにしたのだ。

 しかし,不運な事態が訪れた。担当教官が海外でA型肝炎を患わせてしまい,約半年に亘ってほぼ不在&やり取りはE-mailというような状況に陥った。これは正直かなりきつかった。地元小学校や中学校などとのやり取りを始め,環境学習会を見守って下さる教官や場所の利用願いなども本当に独力で何から何まで手配・準備することになった。

 それでも,同期や後輩,先輩の協力も大いに得られて,魚類図鑑制作過程における魚類のモニタリング活動が環境教育に有効である!という研究成果の公表のみならず念願の魚類図鑑までもを何とか形にすることができた[3][4][5]

 それだけでなく,この成果は国際シンポジウムおよび魚類分類研究会でも発表させて頂く機会があり[6],この際にどちらも御前発表となったことは私の人生経験の上でも特に貴重なものとなった。
 のみならず!,さらに東京海洋大学を卒業する際には,楽水賞を受賞させて頂いたのだけれども,この受賞に際してこのシンポジウムで発表した業績も一つの大きな理由となったことは特筆すべきで,本当にお世話になった多くのみなさまに感謝多謝深謝で頭が上がらない。
 それでも,実はまだ成し遂げていないことがあり,その一つは魚類の定点・定量調査を未だ投稿論文として発表できていないことで,それが今最も大きな背徳感として重くのしかかっている案件といえる。指導教官をもたない調査だっただけに,学会発表で足踏みをしている状況は,修士論文が落ち着いているはずの来年度中には打破したいと思っているのだが……。

 上の二つの引用した拙文の内容自体,基本的に今も変わらぬ私の志をよく表している。WEB魚図鑑のスタッフになることを決めたのもこういう所以であるし,今私が所属している研究室に進学を決定したのもこういう理由である。
 まだまだ今手がけていることですら,やり切るためには時間がかかりそうだなーとやや他人事のように思いつつ,あまり力まず,焦らず,しっかり一歩一歩前進していかなければと,改めて論文が形になったりすると気を引き締める材料となるのかもしれない。



<今回の話題の文献>
宮崎佑介・佐々木剛.2009.魚類図鑑製作過程における道徳・自然教育効果の検証.臨床教科教育学会誌,9(1):75-84.

宮崎佑介・佐々木剛.2008.魚類図鑑の制作は環境教育に有効か? 東京都港区港南における case study.水圏環境教育研究誌,1(1):53-84.

宮崎佑介.2008.魚類図鑑 東京都港区港南 京浜運河の流域で観察された魚.水圏環境教育研究誌,1(1):85-116.

vol.025 京浜運河
埋め立ての変遷

 東京湾の干拓事業は古くは江戸時代から行われており,京浜運河は明治時代から昭和期までの埋め立て造成により開墾されたとされる.
 京浜運河の開墾に関わった工事として,
隅田川口改良第2期工事,隅田川口改良第3期工事,目黒川改修工事,東京港修築事業計画,京浜運河開削工事および埋立時造成事業計画,東京港改訂港湾計画
が挙げられる(抜けているものもあるかも……).
 東京国際空港の埋立は京浜運河には直接は関与しないが,京浜運河内の潮流および流入河川からの水流への変化を与えるものと思われる.

 既に京浜運河は完成された水路であり,今後その範囲が拡がることはないと思われるが,大震災による液状化現象や,地球温暖化の進行に伴う潮位の上昇(2100年には約50cm潮位が上昇するという試算がある)といった影響を受けることが懸念される.
 特に,埋め立て前に海苔業の盛んだった大田区の木船濠がある運河の一角では,水脈「みお」と呼ばれる水路があり,埋立地前にそこが海であったことを物語っている.
 実際に,こういう話は他の地域でもよくあることなのかもしれないが,伝承する機会や場がなく,埋もれて行ってしまっているように感じられる.

 埋立地は垂直護岸のコンクリートで水辺と人間活動の場は繋がりを持つことなく分断化されてきている傾向にあるが,緑道公園や野鳥公園など親水機能を持たせる場も増えており,2007年4月には人工海浜を造成し,大森ふるさとの浜辺公園としてオープンした.
 東京都では運河の垂直護岸を見直し,全て傾斜護岸にする案も出ているという噂を聞いたが,個人的にはそれはそれでどうだろう?と首をかしげる内容でもある.



青潮

 京浜運河は幾つかの流入河川や下水処理場の排水を受け,冬場でも表層水は海水の2/3前後の低塩分環境にあるものの,底層は基本的に海水である.
 表層水の塩分は経時的季節的消長を示しているようであり,降水量の増える夏場に関しては,表層水の塩分は海水の1/3以下になることも珍しくない.

 東京湾湾奥部は周年に渡って恒常的な赤潮状態であるが,特に水温が上昇する夏季にプランクトンの繁殖が促進される.
 大量のプランクトンの死骸は,腐食連鎖により分解者が無機物へ酸化還元されるが,その際に水中(特に海底付近)の溶存酸素もプランクトンの量に比例して大量に消費される.
 このときに,大雨や強風などの無機的環境条件が付加されると,底層の水が表層へ湧昇する現象が観察される.
 この貧酸素水塊および無酸素水塊が湧昇した際に,嫌気分解により発生した硫化水素等が空気中の酸素と反応し,青色や白濁色を呈するため,青潮と呼ばれる.

 京浜運河の北端付近に存在する東京海洋大学の係船場で2005年8月から現在まで行われている観測によると,8〜10月に溶存酸素が1mg/L未満になることが判っており,京浜運河でも青潮の発生は例外でないことが示唆される.
 むしろ,京浜運河は汽水環境である.汽水環境は,特に栄養塩の滞留が起こりやすくバイオマスの高い水域として知られており,なおさらといえるかもしれない.

 青潮の影響は,水生生物の酸欠を引き起こし,多くの生物が犠牲になることが知られている.魚類などの遊泳能が高い生物では避難するようであり,生物多様性を下げている要因の一つであることが考えられる.
 定期的に引き起こされる小規模なカタストロフとみなすことも可能かもしれない.

 やはり,東京湾の富栄養化の改善をしなければ,湾奥部に位置する京浜運河においても高い生物多様性を育む場としての期待に応えることは難しそうである.



親水機能

 運河というと京浜運河に限らず,護岸はコンクリートで固められ,安全柵などが敷かれているのが普通である.
 そのため,水辺と人の生活とは隔離されたものとなり,特に富栄養化の進み易い閉鎖的水域に運河という水路は発達することからも,汚水として捉えられているケースが多いようである.
 運河の景観といえば日本では小樽が有名であり,運河の水は景色の一部となることはいえるであろうが,景色の水というものは水のほんの表面だけを切り取ったものであり,やはり水中は隔離された人が近づくことの難しい世界となっている.

 汚水という認識にしても,別世界・別次元と捉えるにしても,人との関わり・繋がりの希薄さがもたらした観念形態であることに相違はない.
 既に汚れた場所でゴミを捨てたり汚水を流したりするような,さらに汚す行為は促進されるものである.
 同様に,別世界・別次元の世界はわからないものとして割り切ってしまうと,汚染への抵抗感もなくなるものである.
すなわち,このような観念形態を抱く人が多いことは,運河という環境にとって悪循環となる可能性が示唆される.

 しかし,小樽の運河にしても京浜運河にしても,実際には運河内に生物が数多く生息している.大腸菌群数やBOD・CODなどを始め水質を調べれば,確かに汚れているという結論は出るではあろうが,閉鎖性水域や工業地帯での環境基準値のクリアは現時点ではかなり高度な要求ともいえる.
 そして,運河は現在においては全く生物の棲めないような環境ではない.ひとたび水中へ目を向けると,そこには甲殻類,魚類を筆頭に意外と生物で賑わっていることも珍しくはない.

 こういったことを実感し,人々の運河への観念形態を身近な存在として位置づけるためには,親水機能を有した場所が運河には必要であるという一つの結論が導かれることになるだろう.

 実は,京浜運河には親水機能を持たせた場所が割りと多く存在する.
 コンクリートで固められた護岸であっても,釣りやテラスのようになった場所では鳥類や大型魚類,そして景観を見て楽しめるスポットは割と多い.
 その他,京浜緑道公園,野鳥公園といったところでは水辺に下りることができ,水辺で遊ぶことのできる場所も用意されている.
 さらに,2007年4月にオープンした大森ふるさとの浜辺公園は大規模な親水機能を持つ公園であり,環境啓発の場として注目されている施設である.
 この他,京浜運河よりもさらに都心側に位置する芝浦運河の芝浦アイランドでも親水護岸を建設中であり,ここも環境啓発の場として注目されている.

 京浜運河はもともと京浜工業地帯に合わせて発展してきた場であり,水辺に下りられる場所は極めて少ない.だが,その見直しが図られている現在,水辺に下りられる場所も増加してきている.
 この運河の水辺と人とを結ぶ場は,貴重である.
 運河という環境が身近な環境である人も多い中,こういった人工的な環境を大事に思う人が増えていくことは,人の手が加わっていない環境の保全へも良い結果を導くことになる気がする.



釣り

 京浜運河は釣りのポイントとして有名なところもあり,都内の釣具店などで紹介されていることがままあるほどである.

 京浜運河は汽水環境に加え,莫大な工業排水や下水処理水が流入するこもあり,かなりのバイオマスを保有する.
 このため,釣れてくる種は周辺の開放的水域と比較すると多くはないものの,その資源量は目を見張るものがある.
 また,そもそも食の安全面から,多量の工業排水や下水処理水が流入しているとあって,釣れた魚を持ち帰って食べるという人はあまりおらず,大半の釣り人はリリースが前提となっているようであり,これも資源量を保たせている一つの要因として挙げられそうである.

 運河での釣りの対象種は大きく見ると,大抵はマハゼとスズキの2種が挙げられる.
 稀にクロダイを狙う人もいるようだが,スズキとマハゼと比較するとその絶対数が少なく,特定の場所以外では狙って釣るのが難しい種である.

 まず,マハゼであるが,運河生態系のうちの二次・三次消費者であるものの,トップに君臨するわけでなく,鳥類や後述のスズキの被食者となっており,その数も莫大である.
 マハゼは基本的に1年魚で,冬の産卵期が世代交代の時期となる.運河でも春先には1〜4cm前後の仔稚魚が無数に見られ,成長が早い個体では夏には10cmを超えることもよくある.最大で30cmを超えることもあるが,普通は20cmを超える程度であり,京浜運河でも20cmくらいまでの個体が採捕されている.

 釣りのシーズンは5cmを超え始める5〜6月から冬までとなる.
もっとも,マハゼの産卵は海域で行われるため,汽水環境である運河において冬場の出現は稀である.また,表層水温が25℃以上と高水温となる夏場には魚の食欲が減退するようであり,見えても釣りではなかなか釣れないということも起こる.
 運河でマハゼを釣る人は,持ち帰って食べている人も珍しくはないが,多くはない.

 次にスズキであるが,運河生態系のトップに君臨することもある種であり,生物濃縮を心配し,大抵の人は持ち帰らずにキャッチ&リリースをしているようである.

 大半がルアーによる釣りで,特に春先のゴカイ類の産卵(通称;バチ抜け)のシーズンでは,海域から餌を求めるスズキの加入もあり,容易に釣ることができる.
 周年釣れ,また泳いでいる姿も周年目撃されるが,爆発的に釣れるのは春先だけであり,この時期以外の釣り人の数は少なく,釣具屋などのポイント紹介がなされているのも毎年この時期である.

 この他,私はコマセなしのサビキ釣りでウルメイワシの群れに遭遇するなど,まだ知られていない(誰も大した魚がいるとは思っていないようであることが関係している気がする)釣り場としての運河のポテンシャルは高いように思われる.

 運河では釣り禁止の区域も多く,釣りをする際には注意が必要であり,釣りをする側のマナー問題も取り沙汰されることがある.
 釣りというのは運河という水辺環境と人とを結ぶ一種のリンクであり,自然環境とのリンクが切れがちな都市部においてはその役割は重宝すべき価値を包含している.
 先ずは運河という場を知るために,釣りというのは特にその導入という意味において有効な手段として着目されるべきであるように思う.



その水

 京浜運河に限った話ではないが,東京湾の湾奥部に位置する水域全般にいえることがある.

 数百万人が日々出す生活排水は水再生センターで処理され,東京湾の湾奥部へ排出される.
 陸にある有機物がやがて海に流れ,それが植物プランクトンの栄養塩となるという一連の過程は昔からあるものであるが,有機物の流入量が過去と比較にならないほど莫大な量になってしまっているのが今の状況である.

 有機物は植物の栄養塩となるN,P,Sなどから構成されるが,実は水再生センターが行う大概の下水処理ではN,Pの除去というのは基本的には行われていない.
 N,Pは高度処理しない限り,実は垂れ流しというのが現状である.残念ながら,経費もかさむ関係からか,高度処理をしている水再生センターはかなり限られている.

 東京湾の湾奥部の岸壁に付着する生物は圧倒的な外来種の優占が認められる.
 例を挙げれば,ムラサキイガイ,ホンビスノガイ,チチュウカイミドリガニ,イッカククモガニなどが挙げられる.
 この多くの外来種により,東京湾の湾奥部では正常な物質循環が阻害されている可能性があるという.

 この栄養塩が多い現在の東京湾の湾奥部は,恒常的な赤潮状態となっており,海が常に茶色いような褐色を呈している.

 しかし,である.
 近年では,水の透明度があがり綺麗になっているという話もある.
 実際に,汲み上げてみると透明度の高い「綺麗な」水であったというケースもでている.

 さらにここで,しかし!!である.
 栄養塩の量は相変わらず基準値を上回るほど多いのだ.それなのに,透明度が高い水になっているのである.

 どういうことか.何が言いたいのか.
 栄養塩の濃度が高いのに,何故,水が透明なのかということに注目して欲しい.

 東京湾の水が濁っている原因は,恒常的な赤潮状態からきている.すなわち,植物プランクトンが常に大量発生しているということに,東京湾が茶色い原因があるのである.
 そこで,何故透明な水が出てくるのか.それは,植物プランクトンが棲めない環境に陥っている水域が出現しているということに他ならないのだ.

 つまり,上では透明度の高い「綺麗な」水……と書いたが,透明度の高い「汚い」水という解釈の方が,正しいといえるのかもしれない.
 そしてこのことからも.正常な物質循環が破綻してしまっている現況が伺えるのだ.

 では,何故こういった現象が起きたのか?何故,正常な物質循環が破綻しているのか?

 要因は様々であるが,この植物プランクトンが棲めなくなっている状況の一要因については,かなり簡単に説明ができる.

 植物プランクトンは光合成と好気呼吸によって,生命を維持しているものが大半である.
 すなわち,栄養塩と二酸化炭素と水,そして,有機物と酸素があれば,よほどのことがない限りは生きていけるはずである.

 東京湾の湾奥部において,このうちの一つが決定的に欠けてしまう現象が知られている.
 それが,ここでもかつて取り上げた「青潮」である.
 東京湾の湾奥部では夏から秋にかけて,多くの水中に棲む生物にとって危機的な状況である,無酸素あるいは貧酸素の水塊が発生する.

 これは,植物プランクトンをも棲めなくさせてしまっている一要因として疑いのないものである.
 酸素が限定要因となり,植物プランクトンの繁殖を阻害していると見ることができる.

 青潮の発生原因は,前記した通りである.

 東京都側の京浜運河流域(京浜運河の支流的役割を担う運河も含む)には,水再生センターが2箇所も存在する.
 また,京浜運河に流入する目黒川の上流にも下水処理水が流されている場所がある.
 こういった下水処理水が流れてくる場所は,特に栄養塩の流入の影響を受け易い場所となっている可能性がある.

 この京浜運河に下水処理水の大元である排水に関与している人というのは生活排水として関わる人はも言わずもがな,排水の起源となる会社のサービスや工場の製品の利用者まで含めると,日本人全員が,そして違う国の人々までもが含まれる可能性が出てくる.
 東京湾の,京浜運河の水がどうなっていくのかの鍵を握るのは,日本国民の総意に掛かっていると言っても過言ではないように思える.



<引用文献>

遠藤 毅.2004.東京臨海部における埋立ての歴史.地学雑誌.113(4):534-538.

遠藤 毅.2004.東京都臨海部における埋立地造成の歴史.地学雑誌.113(6):785-801.

風呂田利夫.1997.東京湾の生態系と環境の現状.東京湾の生物誌,沼田 眞・風呂田利夫(編).築地書館,東京.pp.2-23.

鬼頭秀一.1996.自然保護を問いなおす―環境倫理とネットワーク.筑摩書房,東京.254pp.

Lalli, M. Carol・Parsons, R. Timothy.底生生物群集.生物海洋学入門第2版,關 文威(監訳)・長沼 毅(訳).講談社,東京.pp.154-194.

清水 誠.1997.水産生物.東京湾の生物誌,沼田 眞・風呂田利夫(編).築地書館,東京.pp.143-155.


その他,東京大学水域保全学研究室の日野明徳元教授の小話,東京海洋大学浮遊生物学研究室の学生のデータなどを参考にしつつ書いたものです.

vol.001 真夏の気仙沼
 ちょっくら調査の合間を縫って,同期の一人と一緒に気仙沼へ遊びに行ったときの話。

 昼過ぎから3時間余り釣りをして,市場を覗いて来る感じ。

 釣りの方は青いそめを餌にして,脈釣りとフカセ釣り。釣果はこんな感じ。



 左上からクジメ,アイナメ×4,タケギンポ,シロメバル。
 右上からウミタナゴ×2,マコガレイ,アサヒアナハゼ×7,キヌバリ。

 アサヒアナハゼはこの倍くらいの数を釣ったけど,まぁ食べるのと標本用を合わせてこんなもんで。
 短時間にパタパタ釣れたので,潮の時間帯とかが良かっただろうけど,やっぱり東北は関東よりも魚影が濃いっ!!


 で,市場での収穫はこれ。夏が旬のイワガキ。
 大きいやつを6個で¥2,000にまけて貰いました。安いっ!!





 これが……こうなった!!!





 まず,ビールから。


 アサヒスーパードライ,辛口だ。
 
 私が飲んだことのあるビールの中で,おそらく最も大量に飲んでいる商品。

 個人経営の「藤」という大田区大森にあった割烹料理屋でアルバイトをしていた学部生時代。
 今は亡きマスターと常連のお客さん,そしてバイト兼部活のOBの方々とバイト中にも関わらずビールや焼酎を飲んで語らったあの日々。というか,マスターに説教されにいくような日々。
 「生」なんて置いていない。まかない料理は食いきれないほど出る。女性のお客には厳しい……。

 あの頃の思い出の詰まったビールが,アサヒスーパードライなのだ!!

 ちなみに,焼酎ならば「太治兵衛」。これは麦焼酎で,水のように飲める危険なお酒。

 フラフラしながら注文とったり,皿洗いしたりと,まぁ良いアルバイト先だったんだなぁ。
 思い出話はここまでにして……。



 魚たちは,3種類の食べ方で調理。

 まずは,刺身から。


 クジメが30cm近くある大物だったので,これと……シロメバルとアイナメの一番大きいやつをチョイス。

 やっぱり刺身は食べられる部分が減るので,このクジメくらいじゃないとまともに身はとれないもんで……。



 真ん中の大部分がクジメ
 左上にチョビッとだけあるのがシロメバルで,
 右上にチョビッとだけあるのがアイナメ

 これを醤油で頂く。


 クジメうめぇ!!!!

 釣れたてとはいえ,肉厚かつ良いシコシコ感。加えて魚の香りも良くて脂も乗っている。これは素直に旨い。
 ハッキリ言って,魚類図鑑とかで「味はアイナメより劣る」みたいな表記があるけど,撤廃した方がいいレベルで旨かった。

 次いでアイナメとシロメバルにも箸を伸ばす。
 まぁ,シコシコ感と魚の香りがあって旨いけど,20cmに満たない個体を刺身にしたので,やっぱり脂の乗りがイマイチ。
 あのクジメを食べた後では,ちょっと敵わない感じだった。

 いやね,この時点でひょっとしたらクジメの方がアイナメより上じゃねーか!!
 とね。ちょっと突っ込みたくなるレベルでした。
 
 やっぱり刺身にするには,25cm以上はないとダメなのかなぁ。

 でかいクジメはなめてはいけない。

 今回の一個目の格言ね。(笑)



 続いて,天ぷら




 上と下の大きいの2個体がアイナメ
 右側の真ん中にいる3個体がアサヒアナハゼ

 ちなみに,左側の2つはチーズを揚げたものなので,ここでは無視。(笑)


 先ず,アサヒアナハゼから。

 おー普通に美味しいじゃん。

 臭みとかは一切ないけど,ちょっと骨がやっぱり気になるね。あと身が少し軟らかめで,天ぷらじゃない調理法の方が良かったかもしれない。


 続いて,アイナメ。

 アイナメの天ぷらうめぇ!!!!

 これはビックリだった。アサヒアナハゼが普通に美味しかったのに,それを上回るホクホクした食感と香り。

 伊達に水産上重要種やってねぇな!!

 って言いたくなるほどに,天ぷら種として完璧。
 これは今回2つ目の格言ね。(笑)

 アイナメを天ぷらにするっていう発想はなかなか無いのかもしれないけど,これはかなりお勧めな食べ方。
 骨が気になる場合は切り身にしちゃえば,完璧も完璧!間違いない!!


 さぁ,テンション上がりっぱなしのまま,酒蒸しに突入。



 ウミタナゴ×2,マコガレイが主役。
 脇役として,刺身にしたクジメ,アイナメ,シロメバルのアラ。

 ちょっと,焦げてしまっているのは,天ぷらの調理&イワガキの殻剥きに夢中になり過ぎていたから……。まぁ,味に問題はなし。


 先ずは,久々にウミタナゴでも食べてみるかい。


 あーウミタナゴの匂いするわー。

 刺身と天ぷらの中には非常に旨い魚が含まれていたためか,若干,残念な気持ちになりました。(笑)

 市場流通していても安価な理由がここにあるのかなと。

 「ウミタナゴの香りは少しクセがあるね。」となんだかんだ言いつつ,何度も箸で突く。(笑)


 やっぱり新鮮な魚は伊達じゃない!!



 そして,天下のマコガレイ。実は20cmくらいとかなりの小型。(笑)

 大きくなかったから,あんまり期待してなかったんだ。実は。

 しかし……カレイの香りがね。しっかりするんですよ。これが。

 これでマコガレイが大きければ,危うくウミタナゴが食べ難くなるところだったので,これはこれで良い結果だったのかも。



 そして最後にイワガキ




 同期のもう一人が手をボロボロにしながらも,殻をこじ開けてくれたというお涙頂戴物の努力(ということにしておこう)に感謝!!

 というわけで,ポン酢でチュルン!!!



 ぐはぁぁぁぁあああ!!!!


 何だこのまろやかさとジューシーさは!!!!

 マガキなんてお子様レベルなんじゃないのか!?


 っていう位に相当旨かった。食べるのが惜しくなるレベルだった。

 うん。だってマガキの3.5〜4.5倍の値段だったしね。ボソッ 


 というわけで充実した一日となったばかりでなく,9月の調査期間中にもまたイワガキを食べに海に行く日(大人の休日)を無理矢理にでも設けることを誓ったのであった。

 さて,うまく実現させるためには調査をしっかりやらねばならない。
 むむむむむ?

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